11月12日(土) 大道芸&猿回し 開催
波牟許曽(ハムコソ)神社 (近鉄長瀬駅下車3分)
住 所:大阪府東大阪市長瀬町1丁目10-9
祭 神:埴安神 波牟埴安姫
「平安時代に入った延長五年(927)に、上進された法令「延喜式(醍醐天皇の勅令により藤原忠平らが編集、宮中の儀式・作法・制度などをかいたもので、後の律令政治の基本法となったものです)神名帳」には全国二千八百六十一社が記載されています。
東大阪市内では、波牟許曽神社、彌刀神社のほかに、枚岡神社など十六社が記載されています。
諸本には共にハムコソと読んでいる。
伴信友(神名帳考証)に蛇草と書イテ今イカニ唱ふにかシラネド波牟久佐(ハムクサ)トカ、波美久佐トカ唱ふべき也、云々と考証して、「河内誌」に記載す。所在地についても地名から社名ができたと説明している。これに対して、神社を「許曽」とかいふのは、延喜式に「下照比売社一座」、日本書紀に、「社戸臣大口」続日本紀に「社吉志酒人」、また国光大師伝に、「美作国稲岡ノ北ノ栃社(とちこそ)」などとある事例によっても明らかである。
波牟は蛇にして、許曽は社の義なり、蛇を祭れる者にや。
村名はこれ社名より起こると述べている。
この宮については古代よりこの地の宮の関係は、その昔、物部の氏人の村であり、蛇草と云う地名の起源はこの宮の名より起こったものと伝えられる。
「神社要録」には北蛇草村神明とあり、河内明記には大社天神とも伝え、「神明考証」には大社神社と呼んでいた。
御祭神は埴安神(はにやすのかみ)、波牟埴安姫(はむはにやすのひめ)なりと記されています。一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる」
要するに・・・・「物部氏がこの地に宮を持ち村を作って 蛇を祀ていた」
と言う事らしいが・・・・・・・・
上記の神社境内で 大道芸が開催されるはず・・・・・・・・だったのですが・・・・・・
当日に成って 開催時間のほんの少し前ぐらいから、急に雨がポッリ、ポッリ降って来たので 急遽開催場所を変更と成って 30~40メーター 離れた団地の 階ホールで開催されました.
とっても寒い中 ビル風がビュンビュンと吹き込んでコンデションは 最悪状態でしたが 大道芸の口上の素晴らしい事そして、猿回しのオモシロい事 あっと言う間の1時間半でした。
お猿さんも寒さのせいか緊張のせいかいきなり粗相を連発し異常に受けておりましたが、お猿さんにも猿使いにしても 随分遣り難い場所の様でした
当日の大道芸や猿回しの様子をわかって頂くために、今回、特別に大量UP致しました。ご堪能下さい。
関係者の皆さん、どうもご苦労様でした。